memorandum -another lost decade

似鳥昭雄(20)大卒採用――学生にロマン熱く語る、花の4期生、後に幹部に成長(私の履歴書)

 今でこそ、年間500人近くの大卒を採用する当社だが、創業期は本当に苦しんだ。1975年(昭和50年)に第1期生として7人採用した。「甘やかすと、経営が安定しない」と思い、厳しいスパルタ教育を施した。週に1回の休みも工場見学、しかも過重労働に低賃金。当たり前だが7人全員辞めてしまった。このため75年入社組は「幻の第1期生」と呼んでいる。
 おかげで今で言う「ブラック企業」のようなレッテルを貼られてしまった。さすがに週に1回は休みにして、100時間あった残業時間を半分ぐらいにした。実質的な1期生は76年入社組だ。その前年に母校の北海学園大学に募集の貼り紙を出し、見に行ったところ、誰も見ていない。そこで学生の集まる場所へ行き、「どんぶり2杯を食わせるから、話を聞いてくれないか」と声を掛け回った。食べている15~20分間に会社の説明をし、入社を促す。
 ちょうど米国視察して間もない頃であり、米国の流通事情も説明した。関心を示した学生は「では今は何店舗ですか」と聞いてくるが、このときはまだ4店で売上高も4億円程度だ。それでも「いずれ100店を作り、売上高を100億円にする」と大風呂敷を広げ、ロマンとビジョンを熱く語った。すると触発された学生が12人入社した。
 ニトリを大きく変えるきっかけとなったのは79年入社組だ。現在の事業会社ニトリの白井俊之社長や池田匡紀専務などグループの中核をなし、社内では「花の4期生」とも呼ばれている。採用を始めた78年は景気低迷により、大手企業は軒並み採用を抑制。出身地での就職を希望するUターン現象が注目された。「人材確保のチャンスだ」。自ら東京へ乗り込み、採用活動を始めた。
 都内のホテルで面接し、内定はその場で出した。内定を出した学生は私や役員らが銀座のおでん屋「お多幸」へ連れて行く。宿を確保していない学生は役員がダブルベッドの横に寝かせていた。
 ニトリ社長の白井は札幌南高校卒業後、宇都宮大学工学部で化学を学んでいた。家具とは無縁だったが、就職雑誌に載せたニトリの紹介コーナーの「完成されたものほど、つまらないものはない」という一文に引かれたそうだ。地元で流していたゴリラを起用したテレビコマーシャルも奇抜で、印象に残っていたとか。ただし将来への保証もなく、親からは反対され、化学専攻だけに友人から「ニトロカガクという会社へ行くのか」と言われたらしい。
 結局、男性30人、女性6人が79年に入社することになった。大きな宴会場のある札幌市内の居酒屋を予約し、全社員参加の入社の歓迎会を開いた。そこで司会者が「新入社員の皆さん、前に出てください」と舞台に上がるように指示したら、座敷はがら空きとなってしまった。実は新入社員を採用しすぎて、全社員の3分の1以上の規模に膨らんだからだ。
 結局、新入社員を大量に採用した結果、その年の利益を大きく落としてしまう。人事担当者からいさめられ、数年は新卒の採用を抑制する羽目になった。相変わらず行き当たりばったりの経営だが、4期生のエネルギーは想定以上に旺盛で、とても勉強熱心。彼らがニトリを大きく成長させる原動力になった。
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by kcapital | 2015-06-03 11:54 | スクラップブック