memorandum -another lost decade

似鳥昭雄(16)エアドーム店――開店前日に雪、つぶれる、損傷した商品で半端物大会(私の履歴書)

 スカウトした営業部長による1974年(昭和49年)の倒産の危機。私の経営の甘さから起きた問題だ。数少ない社内の仲間4人に「闘うから」と宣言した。社長なのに他の社員の目を逃れるようこっそりと調査を始めた。証拠を集め、不正した社員を一人ずつ辞めさせていった。もちろん営業部長側は脅してくるが、「つぶせるならどうぞ」とかわす。
 会計士を入れ、経理をチェック。1年ぐらいで不正を犯した社員を一掃し、横領した経理部長と営業部長も解雇した。融資を渋る銀行にも事情を説明し、「内部の問題があり、何とか立て直します」と説得した。残った社員は5人と4分の1に減った。面白いことに社員数が激減しても売り上げは落ちず、利益率が大きく改善した。
 70年代は本当にドタバタの連続だった。思い出深いのは75年に開業した札幌市郊外の南郷店だ。資金は乏しく、土地を借り、安い費用で店を作るしかない。そこで思いついたのが米国視察で見かけた東京ドームのような日本初のエアドームの店で、米社とドームを輸入する契約を結んだ。
 ところがドームの価格は想像以上に高い。しかもオープン2カ月前なのにドームが届かない。代理業者の手違いで代金が未払いのままだったからだ。船便では間に合わない。テレビで宣伝も始めており、オープンできなかったら信用問題になる。米軍機をチャーターして緊急空輸を実施する羽目になり、500万円もかかってしまった。
 そこで北海学園大学の同級生の多田康郎さんに設計工事を頼み、「これでお願い」と指を4本立てた。ドームが予想以上に高く、40万円のつもりだったが、多田さんは400万円と思いこんでいた。そうとは知らず多田さんは北海学園の野球部の後輩などを集め、設営もしてくれた。支払いの段階で気づいたが契約書もなく、お金もないので40万円のまま。多田さんは責任をとって設計会社を退社してしまい、私は多田さんの独立を支援することになった。今もニトリの店舗設計などをお任せしている。
 トラブルは続く。厳寒の12月、徹夜続きで何とかドームの店は完成した。喜びもひとしおだが、オープンの朝、社員から電話がかかってきた。「社長、店がありません」。意味が分からず現場に駆けつけると前日の大雪でドームがつぶれていたのだ。社員だけでは足らず、問屋やメーカーにお願いして、除雪作業に取りかかった。
 お客さんは集まってきたが、商品の多くはドームの倒壊で損傷している。そこでこう銘打ってオープンした。「開店記念 傷物 半端物大会」。これが大成功だった。その日から問屋やメーカーから傷物を仕入れて、オープン3日間は大繁盛した。
 だがその後は失敗だらけ。ライトをつけても店内は明るくならないので、サーチライトをつけたが、目に入ると、とてもまぶしい。そこで「下を向いて入ってください」と店内放送をすると、「つえをついて歩けというのか」などと怒りを買う。しかもサーチライトの店内で購入した家具を持ち帰ると、色が違って見える。しょっちゅうクレームが来るので店内に100本くらい街灯を立ててみたが、改善しない。このためいちいち店の外に商品を出して、色を確認していた。
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by kcapital | 2015-06-03 11:53 | スクラップブック